> 家畜の餌や屋根葺き用の草を採るための草原エリアや材木や山菜採取のための里山エリアが、ニンゲンの領地とケモノの領地の境界線の役割を果たしていた、という話
これは多分その通りだと思います。うちの集落にも、かつては牛の餌場としての草地が農地と山林の間にあったと聞いています。炭焼きも行われていたので、今よりずっと広葉樹の林が多かったようです。石の垣も、農地とそういう里山の境界に置かれていたものです。
第二次世界大戦後の針葉樹植林勧奨政策によって、うちの集落では「里山」と呼ばれるものが極端に小さくなってしまいました。「そんなに村の近くまで黒木(針葉樹)を植えるものではない」と反対した人もあったようですが、杉・檜がお金になる時勢だったため、そこら中、手当たり次第に杉・檜を植えたみたいです。