平和を願うデモにたくさんの人が集まったと聞いて、わたしはとても嬉しいし勇気づけられている。
だから「あたりまえの日常の小さな喜び」を失わないように、例えば推し活が続けられるように、という声もぜんぜん否定しない。でも、二次大戦末期には官製推し活に日本全体が呑まれたこともある。戦火の中でも、隙あらば心は動いて喜び、腹は減り、若者は成長する。生きている限り日常はあるのだ。
そう考えると、日常を守ることを防衛ラインにすることには、自分は少なからず違和感を感じる。それが侵されたと気づいたときには、もう修正不能なのではと。