日常と非日常との間に、それと分かる明確なラインはない。幸福と不幸とのあいだに、生活者本人が自覚できる明確なラインはない。つまり、政治の本分である仕組みの力、多数の力を集めて作る環境的なアプローチでは、そのラインを遠ざけることはできないのだ。
不満足な富豪も、満足な乞食も、政治で作るものではない。そこまで踏み込ませたら、もうプロパガンダだし。
でも、民主主義では、たくさんの人が政治の選択にきちんと意見を表明できることが、一番重要。
たから、その表明の仕方とか態度とかに意見はそれぞれあったとしても、それによる排除は意味がないと思っている。そこが仮に「正しかった」としても、政治は変わらないから。
主権者としての大切な権利たから、やりやすいやり方で、ときには距離を取って、楽しめるやり方で、より多くのみんなでやろう。そうだな、とひとり納得。