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2026-05-31 11:38:17 UTC

三宅 芳夫 on Nostr: 「追悼 田中浩先生」2 ...

 「追悼 田中浩先生」2

 ちなみに、同期の180人の内、「徹底抗戦のため、部隊に残る」と意思表明したのは7名に過ぎなかった。多くの人間は「もう敗色濃厚」と感じ取っていたのだろう。

 それにしても、この7名の中に、後に太平天国研究の権威になる小島晋治や著名なケインズ経済学者の浅野栄一が入っていたのは興味深い。やはり、ある意味、研究者になる人間は「真面目」なのだろう。

 敗戦後、田中さんは河合栄治郎の「自由主義」を経て、「社会民主主義」に近い立場に「転向」・「移行」する。つまり、田中さんは共産主義者であったことはなく、マルクス主義者でさえない。いわば狭い意味での「戦後民主主義者」であった。

 (ただ、1926生の人間には厳密な意味では「転向」という概念は使えないだろう。1929年生の金時鐘でさえ、「皇国少年」だったのである。)

 東京文理大学に進学した田中さんは、思想史研究者の道を選ぶ。最初の研究対象はホッブズだが、これは福田歓一(1923生)や水田洋(1919生)のホッブス研究と比較してもかなり出色の水準である。