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2026-07-11 04:27:51 UTC

三宅 芳夫 on Nostr: ...

世紀転換期にロシア、ポーランド、リトアニア、ウクライナ在住のユダヤ人(イデッシュ語話者・アシュケナージ)労働者を組織した「ブント」はパレスティナへの移住ではなく、「この地 ドイカイト Doi’kayt」に留まって反ユダヤ主義と戦うことを主張、シオニズムと激しく対立した。

ブント(1897年結成)は1898年に創設されたロシア社会民主労働党(POSDR)を支える主要グループであり、1905年革命においては実質最も重要な役割を果たした。

ただし、分権型の民主主義を主張するブントはレーニンの集権主義と対立、1903年にはPOSDR
から排除される。その後は、民主主義的手続きを重視するメンシェビキを近い位置を占めたが、ロシア革命後、スターリンによる粛清によってソ連ではブントは消滅。

しかし、両大戦間のポーランド・リトアニアの都市部では議席の4分の1以上を取り、組合員は10万人を超える規模へ。

ナチス権力掌握時の同化ユダヤ人(例えばアドルノ・ホルクハイマー、ベンヤミンなどのフランクフルト学派)が50万人だったことを考えると、これはかなりの数です。(尚、ホロコーストで殺害された600万人のユダヤ人の大半はアシュケナージ)

ナオミ・クラインが現在「ブント」へと回帰しているのは、その意味でも興味深い。